春の嵐 「篤姫」
2008年 04月 09日
昨日は、朝から冷たい雨、そして傘の骨も折れそうなほどの強風。
春の嵐のような一日でした。
桜もそろそろ終わりを告げて、いよいよ、新緑眩しい季節の入り口でしょうか。
さて、6日・日曜日の「篤姫」、仕事がある日は、なかなかこの時間に間に合いません。
この日も定時に退社して、家路を急ぎ帰宅すると午後8時半..。
ああ、残り、15分。佳境も佳境。クライマックス..。
「父の思い」に、はらりと一粒。
さてこの回、篤姫の心にも、嵐が吹き荒れたようですね。それも大嵐。
「御台所になどなれるわけがない、」などと母となる英姫に、
きつ~く、言われた篤姫でしたが、
この英姫というお方も、思えば、寂しい運命のよう。
原作によりますと、
わずか九歳でこの島津公邸に輿入れ、
徳川からのお付きの女中四人以外とは、あまり会わなかったと言われていますが、
幼い頃、徳川の大奥で育てられたと言っても、とにかく兄妹も多かったため、
篤姫のように、父や兄妹達と仲良く睦み会う機会などもなく、
ふわふわと、運命の流れに従って、ただただ受け入れるのみ...。
斉彬十五歳、英姫十九歳の時に、二人の婚儀は行われたようですが、
その翌年の文政七年に、英姫はひどい痘瘡を患い、
その酷い瘡跡が顔に残り、それから人が変わったようになって、
極端に人前に出ること嫌うようになった..とか。
そうでしたか..。
ですから、人に会う時は、あのようなマスクならぬ、御簾を使用していたのですね。
しかし、何ともあの姿、見た目不自然というか、近づき難し!というか..。
目立ちます!あの白いマスクは。それに、とっても意地悪そう!(笑)
TVは、何だかこういうところ、実に明るくて、笑ってしまいます♪。
(原作とTV・脚本の違いも、なかなか面白くて...)
もちろんこの時、篤姫は、母の痘瘡跡のことなど知らされていなかった訳ですが、
この母の一言はかなりショック、
どんなにか気落ちされ、困惑したことでありましょう。
「今まで命ぜられるままに生家を出て、鶴丸城に入り、
ついにこの江戸の地までやってきたものの、ここも終の棲家ではなく、
次に行く場所が、自分の死に場所....だと覚悟していた篤姫。
この時、まだ将軍家に嫁ぐと正式に決まってはおらず、誠に、宙ぶらりんな立場。
英姫、篤姫に限らず、この時代、ここに生まれた女の宿命、
何とも切ない限り...です。
そして、実の父の死を、一ヶ月半近くも知らされず..。
「父のご逝去を何故に本日まで、子たる私に隠していたのか!」と幾島に向かって
大声で泣き叫び、涙はあとからあとから溢れ、嗚咽は止まることがなかったとか。
姫君とはいえ、普通の感覚の、いやいやとても情緒深い心豊かな彼女だったのでしょう。
胸打たれます。
父の死を聞いた時、
声をあげて泣き続ける姿を見て、幾島は、
「この篤姫はやはりどこか他の姫とは違う...」と感じたそうです。
それまで、武家の姫と言うものは、
心のうちを露わにしたり、騒ぎ立てたり、
大声をあげて泣いたりしないのが美徳とされ、
決して本心を明かさぬことが立派な生き方として、教育されてきたようですが、
今の篤姫の怒りと悲しみに触れ、それは間違いであってはなかったか...と。
流石でございますね!!
こういう一途で素直なところが、彼女(篤姫)の人としての大きな魅力だったのでしょう。
しかし、世は和親か攘夷かとずいぶんと騒がしくなり、
これからいったいどのような展開で家定のもとへ入輿となるのか、
ますます目が離せません。
ホント、あおいちゃんも、実に可愛いですし!
女の視点から見つめた今回の大河、なかなか面白くなりそうです。
でも、願わくば、午後8時から、ちゃんと見たいものです...。
芙蓉
春の嵐のような一日でした。
桜もそろそろ終わりを告げて、いよいよ、新緑眩しい季節の入り口でしょうか。
さて、6日・日曜日の「篤姫」、仕事がある日は、なかなかこの時間に間に合いません。
この日も定時に退社して、家路を急ぎ帰宅すると午後8時半..。
ああ、残り、15分。佳境も佳境。クライマックス..。
「父の思い」に、はらりと一粒。
さてこの回、篤姫の心にも、嵐が吹き荒れたようですね。それも大嵐。
「御台所になどなれるわけがない、」などと母となる英姫に、
きつ~く、言われた篤姫でしたが、
この英姫というお方も、思えば、寂しい運命のよう。
原作によりますと、
わずか九歳でこの島津公邸に輿入れ、
徳川からのお付きの女中四人以外とは、あまり会わなかったと言われていますが、
幼い頃、徳川の大奥で育てられたと言っても、とにかく兄妹も多かったため、
篤姫のように、父や兄妹達と仲良く睦み会う機会などもなく、
ふわふわと、運命の流れに従って、ただただ受け入れるのみ...。
斉彬十五歳、英姫十九歳の時に、二人の婚儀は行われたようですが、
その翌年の文政七年に、英姫はひどい痘瘡を患い、
その酷い瘡跡が顔に残り、それから人が変わったようになって、
極端に人前に出ること嫌うようになった..とか。
そうでしたか..。
ですから、人に会う時は、あのようなマスクならぬ、御簾を使用していたのですね。
しかし、何ともあの姿、見た目不自然というか、近づき難し!というか..。
目立ちます!あの白いマスクは。それに、とっても意地悪そう!(笑)
TVは、何だかこういうところ、実に明るくて、笑ってしまいます♪。
(原作とTV・脚本の違いも、なかなか面白くて...)
もちろんこの時、篤姫は、母の痘瘡跡のことなど知らされていなかった訳ですが、
この母の一言はかなりショック、
どんなにか気落ちされ、困惑したことでありましょう。
「今まで命ぜられるままに生家を出て、鶴丸城に入り、
ついにこの江戸の地までやってきたものの、ここも終の棲家ではなく、
次に行く場所が、自分の死に場所....だと覚悟していた篤姫。
この時、まだ将軍家に嫁ぐと正式に決まってはおらず、誠に、宙ぶらりんな立場。
英姫、篤姫に限らず、この時代、ここに生まれた女の宿命、
何とも切ない限り...です。
そして、実の父の死を、一ヶ月半近くも知らされず..。
「父のご逝去を何故に本日まで、子たる私に隠していたのか!」と幾島に向かって
大声で泣き叫び、涙はあとからあとから溢れ、嗚咽は止まることがなかったとか。
姫君とはいえ、普通の感覚の、いやいやとても情緒深い心豊かな彼女だったのでしょう。
胸打たれます。
父の死を聞いた時、
声をあげて泣き続ける姿を見て、幾島は、
「この篤姫はやはりどこか他の姫とは違う...」と感じたそうです。
それまで、武家の姫と言うものは、
心のうちを露わにしたり、騒ぎ立てたり、
大声をあげて泣いたりしないのが美徳とされ、
決して本心を明かさぬことが立派な生き方として、教育されてきたようですが、
今の篤姫の怒りと悲しみに触れ、それは間違いであってはなかったか...と。
流石でございますね!!
こういう一途で素直なところが、彼女(篤姫)の人としての大きな魅力だったのでしょう。
しかし、世は和親か攘夷かとずいぶんと騒がしくなり、
これからいったいどのような展開で家定のもとへ入輿となるのか、
ますます目が離せません。
ホント、あおいちゃんも、実に可愛いですし!
女の視点から見つめた今回の大河、なかなか面白くなりそうです。
でも、願わくば、午後8時から、ちゃんと見たいものです...。
芙蓉
by silku928
| 2008-04-09 09:32